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当山の開基は、平塚入道了源なり。了源は、藤原の鎌足十八代の裔、曽我兄弟十郎祐成の子。母は大磯の虎御前なり。河津三郎信之と称す。
信之は、源実朝に仕えて、武功多く恩賞として平塚の庄を賜り、積年の仇敵に感ずるところありて、親鸞聖人の教えを受けて出家し、了源と名乗り、安貞元年(西暦一二二七年)平塚に一宇を建て、阿弥陀寺と称し、親鸞聖人真筆の十字尊号を以って本尊とす。
歴代相続後、文明元年(西暦一四六九年)比叡山の京都西本願寺の破却を知り、当時住職の空浄は平塚をのがれ、当地東浦賀に一宇を建て、阿弥陀寺の本尊を移す。
元和元年(西暦一六一五年)空覚代に再興す。寛永十四年(西暦一六三七年)良如上人御巡教の折、東教山乗誓寺と賜る。
大正十二年、関東大震災により、大本堂、庫裏、鐘楼堂等倒壊しも、昭和五十年本堂を再建、同五十九年庫裏、鐘楼堂を建之す。
尚、当寺の歴代住職は、世襲により脈々と継承され、曽我兄弟十郎の子孫なり。
【住職紹介】
浄土真宗本願寺派(西本願寺)
東教山 乗誓寺 住職 曽我宗光
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